日本においては新聞は必ずしも英知と良心を代表しない。むしろ流行を代表するのもであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道し続けて国民を
煽っているうちに煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の
国力などについて論ずることはまれにあっても、いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで
日本を持ち込んでゆくことになり、さらには持ち込んでゆくための原体質を、この戦勝報道のなかで新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化に
少しも気づかなかった。日本の新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり、そのことは日本の国民性の濃厚な反射でもあるが、つねに
一方に片寄ることの好きな日本の新聞と国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。