2011年12月29日(木)轟け。

来年の事を口にすると鬼が笑う。鬼に笑わせるだけの隙を作るな。…どうにも他人と意識が異なる。その事自体はどうでもいい。「どう」違うのか。それを書く。

他人は12月31日と翌年の1月1日で切り替えを行おうとする。そうした急激な切り換え行為が俺から見れば愚の骨頂。自分が少数派だと意識する様相。
俺?俺の中では「12月31日まではしっかりとその年の事を過ごし、1月1日に入ってから目標(絵空事ではなく具体的かつ論理的なる展開で)を構築する」。

そして1月1日に早くも当日実行可能な目標を達成する為に動く。目標を達成する事は出来たのかそれとも出来なかったのか。
「出来たと言うのであれば目標が低かったのではないか?と考え、低くないと考えれば更に高い目標を設定し、出来なかったと言うのであれば
具体的にどこが出来ていなかったのか?とするセグメント単位における分割を行い特にどの地点がとした考慮で以てその箇所を診断する」。

そして1月1日に目標を実行した行為に基づいて目標の上方修正を行いその内容を「1月2日に」持っていく。そこが俺にとっての目標設置箇所としての一里塚。

「12月31日 → 1月1日(これまでの歴史を用いての即断即決。目標を設定し即実行。達成?未達成?それらの内容も含めて分割を行い精査を行い
上方修正の具体量を設定した上でそうした概念を1月2日に持っていく。いわば引き継ぎの為の設定期間) → 1月2日(ここが俺にとっての出発点)」。

それが俺の中での意識なんで。こうした意識を持っている奴と言うのが他人の中にはまず居ない。まぁ居なくて当然なんだがな。比較の為に書いておく。最小限。

どうして1月2日なのか?理由は3つ。

1:人生常に「道半ば」。1月2日は1/2と書けば「半分」を表す事になる。Googleで検索を掛ければその答えは「0.5」。つまり「半分」になる。「半分」とした意識。 
2:俺は毎年実業団駅伝を楽しみにしているが世間の大半は「所詮は関東ローカル」の方の駅伝ばかりを話題とする。そうした大衆迎合に楔を打て。とした意識。 
3:他人と違う事をやらないと現代社会ではレゾンデートルが発揮されない。「他人と同じなら存在価値(存在意義)は発生しない」。現代社会は「コア」の時代。

だから。

「1月1日の全国実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)」よりも「1月2日、3日の関東ローカル(俺的には関東オークス並みの位置づけ)」の方に注目する。
それが世間クオリティ。こうした首都圏民の「思い上がり、傲慢、比較の出来ない視野狭窄的愚者」には染まらないぞとした概念を発揮する為に
世間じゃ関東ローカルの狭っ苦しい範囲の大会でしかない内容に注目が集まっているその最中を抜け出しておく事こそが有意義な事となる。

情報過多で人口過多で、様々な売り買いが飛び交う地域に住んでるんだからいろんな事を知ってるんだー!…とした思い上がり。それが首都圏民クオリティ。
加工された後の情報はつまり加工した側の思惑が飛び交っている。「伝言ゲームで劣化した伝言内容を見てさも全てを知ったかの様な思い上がり」には反吐が出る。

だからな。「何故、それが有用なのか」とした内容を論理的かつ比較を用いて説明する事が出来れば特段そうした狭窄行為に陥ると言った事は少ないと確信する。

2011年12月29日(木)00時45分57秒