物を売る側の連中が「集合したい」事を理由に集合を掛けて、どうして集合するのか?とした理由を後付けで継ぎ接ぎとする為に商品やサービスが存在している。
現代社会の売り手の様相は以上の通り。「もはや買う側の事なんて全く考えていない駄商人」。それがこの世界の大半を占めている存在。
「プロダクト単位」ではなく「グループ単位」。そうした愚者どもが無能を簡単にプレゼンしてきてくれているのでたまにはステマッターも役に立つんだな。そう思った。
「買い手の事を考える。買い手が欲している商品は何か。買い手が欲しているサービスは何か。買い手に意見を聞いてより洗練された物を提供していこう」。
「その為の得意分野。君は○○が得意だから商品のデザインを担当。君は××が得意だから商品のご意見伺いを担当。全ては商品の為に(集合する)」。
…とする概念の方が理想ではあるんだが、現代社会の「えたひにん≒商人」連中どもは、上記の展開とはまるで正反対の行動を取っている。
「仕事してる(実際にはしていないんだがな。顧客軽視でしかないんだから)アタシってば超カッコイー」
「○○ちゃんとまた同じ現場になったねうれしー☆」 「アニメ2期やるよー(だってその方が楽だし設定とかいちいち説明しなくてもいいし)」
…完全に「売り手のご都合主義」で物が作り出されている。…そんな状態で作られた物が顧客の琴線に触れる訳もない。
だから売れない。当然の事。しかし衆愚は気づかない。理由?「頭が悪いから」。…ひとつに教育。ひとつに環境。最重要なのは間違った知識の伝達とした行動。
それらによって「頭が悪い奴ら」が大量生産されていく。例えば学校。例えば会社。そうした連中は「頭の悪い奴ら大量生産所」とするのが現実的にはより近い。
そうした愚者どもには価値が無いのでそうした愚者か生産した展開に対しては金銭を支払わない事。並びに金銭を支払う連中を悪行三昧と位置づけて非難する事。
こうした形で以て「金を使わない事」が正義となっていく。それがこれからの賢者の選択。必要最低限以外の物には手を出したくても出しません。「愚商品」だから。
論理的な内容を提示する。如何にして「自分本位主義」を採択した上で、理論と比較を用いて賢く動いていくか。その事によって苦難は晴れる。以上。