乞ひ












窓へと顔を向けた君の横顔の、その美しさ。





窓へ向けられた視線が、不意に揺らぐ。

少し風がきつくなって来ましたねと、君が呟く。

私はそうですねと、何時もと変わらない返事をする。

君は静かに腰掛けていた椅子から腰を浮かせて、音も無く、静かに静かに立ち上がった。

そうして、がたがたと軋むガラス戸を閉め、また静かに座って居た椅子へと腰掛けた。

そうしてまた、彼女は締め切った窓へと目線を戻す。





彼女の横顔、私はそれが一等好きなのだ。









彼女は表情ひとつ変えず、私へと声を掛ける。

何時頃まで掛かりそうですか、と。



私はまた、


「そうですね」


と一言言葉を返し、

続けて、


「大体もう、半月と言った所でしょうか」


と答えた。



すると、今度は彼女が、そうですか、と返し、

また沈黙を守る様な時計の針の音が耳に付くようになった。

そうして静かな、静かな時間がまた帰ってくる。









彼女とこうして過ごすようになって幾日がたったであろう。

彼女と出会ったのは、秋の初めだった。

しかし今はもう空は雪をも降らしそうな鈍い鉛色をしている。

木の葉が秋の色を移すようになり、そして簡単に散っていった。

今ではもう、しんと刺すような程に空気は冷え込み、

そろそろ石炭ストォヴでも入れようか等と日々の会話の中に織り込まれる様になってきた。



もう冬だ。

約束の期日はもう、後少しに迫っている。





「そういえば」

君がふと思い出したように口を開きます。

「昨日、家へいらっしゃらなかったですか?」

表情を変えず、淡々とした口調で、君はそう云いました。

「……ええ、参りました」

少し間を置いて僕はそう答えました。

「何か、御用が御有りでしたの?

わたくしが玄関口へ着いた時にはもう居られなかったから、心配したのですよ」

「いえ、用事はもう済ませましたから、良いのです」

「そうですか。……嗚呼、そうだわ。それに、あの桜の切り花は貴方が持って来て下さったの?」

君はふふ、と笑いちらりと此方を見て、続けて云いました。

「気障な事をなさいますのね」

私は君のその屈託の無い笑顔を見て、つられて笑いました。

「……丁度庭先に咲き出していましたから、この間は、あれを貴方に御見せしたくて参上したのです」

「でも、とても季節外れぢゃあありませんか?十月に桜なんて。狂い咲いているのかしら」

そう云って君は、また窓の方へ目線を戻します。



「あれは、狂い咲いているのではありませんよ」

私は、元に戻った彼女の横顔を見て、再び筆を動かし始めました。

「あれは、冬桜と云う種なのです」



ふゆざくら?と君がまた此方を向きました。

「そうです。あの冬桜と云う種は春にも花を付けますけれど、冬にも花を付ける樹なのです」



「不思議ですわね」

君は続けて云いました。

「でも、綺麗でしたわ。とても」



私は、其れは良かった、と云って、

君に横を向く様に目で指示をだしました。

君は、

「ごめんなさい。……つい」

と少し顔を紅く染めました。



そして暫く静かに時が過ぎました。

君も私も何も云わず、只黙っていました。



「でも、どうして何も云わずに御花を置いて行かれたのですか?

声を掛けて頂いたら良かったのに……」



君がそう云って先に沈黙を破りました。



私はまた筆を止めました。

そして、君の目を見て云いました。



「貴方の婚約者の方がおいでになっていたからです」



君は不思議そうな表情で私を見ました。



「気が散って今日はもう筆が進まない様に思います。

今日は、この辺にしましょう」

私は筆を置いて、席を立ちました。

そして机の上に放り上げていた煙草を手にとって一本取り出し、

口に咥えてマッチを擦りました。





「あの桜の樹は」



私は一息煙を吸い込んで、一拍置いてふうっと吐き出しました。

「あの桜は今年迄一度も冬に花を付けた事はありませんでした」



君は何も云わずに私を見つめていました。



「初めて、花を付けたのです。……何故でしょうね」

私は窓の方を向きました。

冷たい風が窓の外を通り過ぎるのがわかりました。

そして、風に揺れて、冬桜がざあっと音を立てて散って逝くのを見ました。



「あれは、私の恋ごころのようです。……もう冬です、……桜は、似合わない……。」



私は私の目頭が急に熱くなるのがわかりました。



「遅すぎたのです。桜も、私も。」

咲き乱れるのが遅すぎた、と私が口にするやいなや、一層風が強く吹くのが見えました。

花弁は風に舞い、ひらり、ひらりと落ちていきました。



「あ……」

今迄黙っていた君が言葉を漏らしました。

理由は直ぐに分かりました。

私の目からははらはらと涙が伝って零れていました。



「見て下さい。あれはもう、花ではありません」

私は窓を指しました。

窓からは夥しい程の花弁がひらりひらりと舞い落ちて逝くのが見えました。



「あれはもう、……雪、なのです」



私は一層深く、煙草の煙を吸い、そして吐きました。



そして、目に残る涙の後を指でそっと拭って君に云いました。



「冬はもう直ぐです。後半月であれを描き上げなくてはいけませんね。

貴女の御嫁入までには、必ず仕上げますから」



「御免なさい」

君は云いました。

でも私は、そんな事は聞かなかった振りをしました。



「明日も、今日と同じです。十時には家へ来て下さい」

そして、私は、君を見て笑いました。

「では、また明日」



君は濡れた目も其の侭に、黙ったままばたばたと走って部屋を出て行きました。







誰もいなくなった部屋で、私はもう一本煙草を吸いました。

悲しみはありませんでした。





ですが、涙は途切れることなく只、その花弁の雪の様に落ち続けました。










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  ※この作品は金鵄舎発行の同人誌「天青石」(配布終了済)に掲載させて頂いた短編小説作品の再録です。
    当サイトの作品にはあまりないタイプの恋愛色の強い作品ですが、個人的にとても気に入っています。
    書いた時期は大分以前になるのですが、
    描きたかった「せつなさ」(切な・刹那、どちらも含め)は恥ずかしながら自身では上手く描けた方だと思っています。

 
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