かぜ、くるま。
風が舞う。
夏を連れ去る、
風が舞う。
くるりくると、
いたづらに紅い風車動かして、
風が舞う。
風が、舞う。
「…おかあさぁんー…」
表で子供の泣き声がした。
小さな、少女の声だ。
私は其の様子を見ようと、
ゆっくりと腰を上げてぎしぎしと風に軋む木製の窓を開けた。
開け放った窓から体を出し二階から下を見下ろすと、
霞んだ紅碧の着物に藍錆色の兵児帯を結んだ少女の姿が見える。
手には夜店で売られている様な和紙で拵えた小さな風車があった。
「君、如何したのですか?」
私は、二階から少女に声を掛けた。
少女は大きく見積っても五、六歳程といったところで、
母親と逸れてしまったのなら一大事ではないかと踏んだからであった。
「…おかあさんがいないのぅ…」
ぐすぐすと泣き濡った顔を擦りながら少女は言った。
そして手に持った風車がかさかさと音を立てて回った。
「…お母さんと逸れてしまったのですね。少し其処で待っていてくれませんか?」
私はそういって急いで自分の部屋の階段を駆け下りた。
玄関で適当に脱ぎ散らかされた下駄の一つを突っかけて、扉を開けた。
扉を開けた途端にびゅう、ときつく風が吹き付ける。
「風が強いな…」
私は着ていたシャツの襟をぐっと首元で抑えた。
少女の元へと急ぐと、
やはり少女はまだ泣き止む様子無く、一生懸命流れる涙を掌で拭っていた。
私は手をぽん、と彼女の頭へとあてた。
「大丈夫ですか?」
私がにこ、と笑いかけると、
少女はしきりに動かしていた手を止めてじっと私の方を見た。
「お母さんとは何処で離れたのですか?」
そうやんわりと少女へと問うと、少女は指で北の方を指した。
「妾、あっちから来たんよ。」
僕は少し目を細めながら風の強い北の方角を向いた。
北への方角にはまっすぐとした大きな一本道の街道が在る。
だが母親どころか道には誰一人として人は居らず、
些か奇妙に思いながらも少女へとまた質問を出した。
「何時頃お母さんがいないのに気が付いたの?」
「さっき」
「三十分位前かい?」
「ううん。さっきよ、ついさっき風が吹いたとき」
「…」
少女の答えはどうも辻褄が合わない。
確かに僕が少女の泣き声を耳にしたのは十分以上も前の事では無い。
しかし本当についさっき母親とはぐれたのであれば、
まだこの大きな一本道の向こうに母親の影くらい見えても良い筈である。
ふと首を傾げ、僕はもう一度北の方角へと目をやった。
「う…わっ」
突然突風が吹きつけた。
ぐありと身体を押し倒す様な強い風だ。
僕はその突風の力に耐え切れずつい、手で目を覆った。
からからからからからから。
隣で風車が凄い勢いで回る音が聞こえた。
そうだ、少女は如何した。
僕は目蓋を閉じたまま手探りで少女を探した。
「大丈夫ですか…っ?」
風はまだ強い。
目が開けられない。
だけれど、少女を、少女を助けてやらねば。
そう思った瞬間、突然ふっ、と僕の手に何かが握らされた。
「…?」
「おにいちゃん」
「…あ、き、君、大丈夫なのですか」
「うん、平気。おにいちゃん有難う。お母さん、迎えに来てくれはったん。」
「え…」
「有難うね、お礼に、これあげる…じゃあね」
からからから。
また、風車の回る音がした。
そして、また一つ突風が吹きつける。
「う、あ…」
其の一吹きは身体ごと何処かへ持って行かれてしまうのではと思うほどきつく吹き付けた。
しかし、その突風を最後に風はぴたりと止んだ。
恐る恐る目を開くと、其処にはいつもと変わらぬ風景が見えた。
そして、少女は忽然と何処かへ消えて一つの風車だけが其処に残っていた。
僕は何も云わず、ぼんやりと残った風車を見た。
風車には、端に小さく文字が記されていた。
風、と。
僕は慌てて顔を上げた。
すると下宿から友人が飛び出してき、暖簾の間から首を出して一言呟いた。
「いやはや、夏を連れ去るような酷い北風だった。
こうも寒い風が吹くのならもうとっくに秋というものだな。」
北からまた、冷たい風が吹き抜けていった。
其の風はとても冷たかったが、
僕の身体を優しくすり抜けて、軽やかに風車をくるくるくるくると廻した。