『美汐のかてきょっ!』
「どうして、私はこんなところにいるのでしょう。」
「あう〜、どうしたのみしお〜。」
「・・・・・いえ、なんでもありません。」
今私は相沢さんの家、正確には水瀬先輩の家ですが…、に来ています。
目の前には小さなテーブル、その向こうに金色の長い髪の少女が座っています。
その少女−−−真琴は時々『あう〜』と言いながらもしっかりと勉強しているようです。
「どうしてこんな事になってしまったのでしょう。」
「ねえねえ、みしお。ここがわかんないよぅ。」
「はい、どこですか?」
真琴に答えながらも、私はつい数時間前のことを思い出していました。
そう、それは昼休みにクラスメートの美坂さんと昼食を取っているときでした。
「天野っ!」
急に大きな声で呼びかけかれて私は教室の入り口を見ました。
やっぱり、というか相沢さんでした。
「なんですか。大きな声で呼ばないでください。相沢さん。」
内心はビックリしていたのですが、平静を装って答えます。
「いや、悪い悪い。天野にどうしても言いたいことがあって走ってきたんだ。」
「廊下は走るものではありません。」
「やっぱり天野はおばさ……ぐふっ。」
「物腰が穏やかだといってください。」
とりあえず相沢さんの鳩尾に肘を入れておきました。
前にいる美坂さんなら『そんなこと言う人〜』と可愛く言うのでしょうが私はそうはいきません。
昼休みが終わりそうなので、まだ膝をついている相沢さんに聞くことにしました。
「それで、言いたいことってなんですか、相沢さん。」
「あ、ああ。それなんだが…。」
なんだか相沢さんは言いにくそうにしています。
私はじっと相沢さんを見つめていました。
「その…、放課後に中庭に来てくれ。それじゃ。」
「えっ?相沢さん?」
私が止める間もなく、相沢さんは矢のように帰っていってしまいました。
なんのことだかよく分からなかったので思案していると…。
「わあ、天野さんおめでとうございますー。」
「は、何を言っているのですか?美坂さん。」
「もう、そんなに照れなくてもいいじゃないですか〜。」
さっきまでずっと黙っていた美坂さんがなにやら怪しげな笑みを浮かべています。
私は美坂さんが考えていることなど全くわかりません。
「だから何のことですか?」
「放課後の呼び出しって言ったら、告白に決まってるじゃないですか。」
「えっ?」
「だから祐一さんが天野さんに告白するんですよ〜。」
美坂さんの言葉を聞いて、私は顔が真っ赤になりました。
だって私はそんなこと思いもよらなかったからです。
そ、そんな、相沢さんが私にこ、告白なんて…。
「いいですね〜。天野さん羨ましいです〜。」
「そ、そんなこと…。ただ来てくれとしか言われてませんし…。」
「きっと告白ですっ。さっきの祐一さんの言いづらそうな表情が決め手ですよ〜。」
そう言われるとそんな気もしてきます…。
考えれば考えるほど頭が混乱していきます。
私は美坂さんが席に戻ったことも気付かずにずっと考えていました。
もちろん授業など聞こえるはずもありませんでした。
そして放課後……。
私はドキドキしながら中庭に立っていました。
まだ心の準備が出来ていません。
でも…。相沢さんが私を…。
「べ、別に期待してる訳じゃないんですよ。」
つい独り言を言ってみたりします。
「なにぶつぶつ言ってるんだ?」
「きゃっ。」
後ろから声をかけられて思わず叫んでしまいました。
「あ、相沢さん。遅いですよ。」
「悪いな。名雪に掃除当番だからって捕まっちゃってさ。」
「そうですか…。」
緊張している私は言葉が続きません。
いつもだってあまり話さないのに、それ以上です。
「どうした天野。具合でも悪いのか?」
「いえ。そんなことありません。それよりもお話って…。」
「ああ、そうだったな。実は……。」
「ま、待ってください!」
ドキドキドキドキドキドキドキドキ…。
ついに、この時がやってきてしまいました。
私は落ち着くように深呼吸をしました。
すぅーーーーー、はぁーーーーーー。
すぅーーーーー、はぁーーーーーー。
「は、はい。準備ができました。どうぞおっしゃってください。」
「今日の天野は変だな。まあいいや。それでだな……。」
「・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・。」
「はい?今なんとおっしゃいました?」
「だから、天野に真琴の家庭教師を頼めないかって言ったんだよ。」
「家庭教師…ですか。」
「ああ、天野なら真琴でも大丈夫だし、他に頼めるヤツがいないからな。」
「そうなんですか…。私はてっきり…告白かと……。」
「はぁ?告白?」
「い、いえ、何でもない、何でもないですよ。」
「なんだ。天野は告白だと思ってたのか。」
そう言って相沢さんは笑っていました。
私の顔は真っ赤になってるでしょう。顔がかっかとしてとても熱いです。
もう今すぐ消えてしまいたいくらい恥ずかしいです…。
「ははぁ、きっと栞かなんかに吹き込まれたんだろう。」
「だ、だって…、相沢さんあの時言いづらそうでしたし…。」
「それは天野の肘鉄が入ったからだ。痛くて話せなかったぞ。」
「そ、それに言ったあとすぐに走っていっちゃって…。」
「ああ、昼休みが終わりそうだったからな。」
なんて早とちりでしょう。私はますます顔が赤くなってしまいました。
美坂さん…恨みますよ。
そんな私を見て相沢さんはなんだかにやにやしています。
「それにしても…。」
「はい?」
「天野も女の子らしいこと考えるんだな。」
「あ、当たり前です。私だって普通の高校生なんですから…。」
「いやいや、普段の天野からは想像できないからな。」
「普段の私、ですか。」
「そうそう、天野はおばさんくさ……ぐはっ。」
強烈な肘を腰の回転を使ってさっきと同じ所にぶち込みました。
崩れ落ちる相沢さんを見ながら私はぽつりとつぶやきました。
「そんな酷なことはないでしょう…。」
「あう〜、みしお〜?」
「また質問ですか、真琴。」
「ううん、みしおったらずっと考え込んでるんだもん。どうかしたの?」
あれから30分近くも考え込んでいたみたいです。
引き受けた手前ちゃんと教えなくては意味がないですからね。
「いえ、なんでもありませんよ。それより終わりましたか?」
「うん、ほら。見てみて〜。すごいでしょ。」
「はい、良くできましたね。」
私は真琴の頭を優しく撫でてあげました。
真琴は嬉しそうに目を細めてすりついてきます。
なんとなく私もお母さんになったみたいでちょっと嬉しいです。
「そうしてるとまるで親子みたいだな。」
「あ、ゆういち〜。」
「…女の子の部屋に黙って入ってくるなんて失礼ですよ。」
いつの間にか相沢さんが部屋の入り口に立っていました。
私と真琴の返した言葉に苦笑しながら、
「ちょっと休憩しないか。天野も疲れただろう。」
そう言って、テーブルの上に紅茶とケーキを持ってきました。
「あう〜、真琴は肉まんがいい…。」
「ほら、ちゃんと肉まんもあるぞ。」
「わ〜い、ゆういちありがと〜。」
「真琴、ちゃんと手を洗ってから食べましょうね。」
「は〜い。」
真琴はそう言って階段を駆け下りていきました。
「やっぱり親子みたいだな。」
「それはどういう意味ですか?」
「い、いや。別に深い意味はないぞ。ただ…。」
「ただ?」
「天野がいつもよりずっと優しい顔をしていたからな。」
「えっ?」
「なんでもないぞ。ほら、天野も手を洗ってこいよ。」
「は、はい。それでは…。」
相沢さんはごまかすように私の背中を押してきました。
ちょっと腑に落ちませんがここは諦めましょう。
部屋の入り口まで歩いたところで、私はふと思い出しました。
「相沢さん。」
「ん。なんだ?」
「真琴のことなんですが…。」
「勉強が全然だめなのか?」
「いえ、そうではありません。あの教材は相沢さんが選んだのですか?」
「ああ、そうだけど…。なんかまずいのか?」
「いくら真琴でもこれくらい分かりますよ。」
そう言って私はさっきまで使っていた教材を相沢さんに見せました。
『さんすうドリル しょうがく1ねんせい』
「そうは言っても、真琴の学力なんてわかんなかったし…。」
「真琴は自分で肉まんを買ったり出来るのですから、きっとこの辺りでしょう。」
私はバッグから自分が持ってきた教材を出しました。
『算数ドリル 小学3年生』
「天野、それのどこが違うというんだ?」
「真琴はものが買えます。とすると簡単なかけ算はできる、と言うことです。」
「じゃあなんでさっきのをやらせたんだ?」
「勉強に慣らせるためですよ。まずは簡単なものからやらないと嫌いになってしまいますから。」
「ふ〜ん、そこまで考えてるとは…。すごいな。」
「真琴のためですから。では私は手を洗って来ますので。」
「みしお、早くしないとみしおの分も食べちゃうよ〜。」
いつの間にか戻ってきた真琴にせかされて私はすぐに手を洗いに行きました。
あの後しばらく真琴と勉強をしたり、相沢さんと3人で遊んだりしていました。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものです。
私は帰り支度をして下に降りていきました。
「では私はそろそろ失礼します。秋子さんケーキごちそうさまでした。」
「いえいえ、また来てくださいね。美汐ちゃん。」
「あう〜。みしお泊まってけばいいのに…。」
「また明日会えますから。ね、真琴。」
「うん…。」
私は真琴を優しく撫でてさよならの挨拶をしました。
さて出ようかと思ったときに相沢さんも靴を履いていることに気がつきました。
「秋子さん。俺、天野を送ってきますんで。」
「了承。」
「そんな、相沢さんにご迷惑ですよ。」
「いいって。それにこんな夜に女の子を一人で帰らせるわけにもいかないだろ。」
「そうしてもらいなさい。美汐ちゃん。」
「はい…。ではよろしくお願いします。」
「よしっ、行くか。」
家の外に出ると澄んだ空に星がたくさん見えました。
私と相沢さんは特に何も話さずに歩いていきます。
並んで歩いているとなんだか相沢さんの側が暖かい気がします。
・・・・・・。
わ、私はなにを考えているんでしょう!
でも。一度考え出すとどんどん溢れてくるみたいです。
昼間の事まで思い出してしまって、またドキドキしています。
そっと相沢さんをのぞき見ると今の私の表情には気付いてないみたいです。
私はほっとしたような、残念なような気持ちになりました。
…私はどうしてしまったんでしょう。
相沢さんのことを…す、好きなのでしょうか。
よく、分かりません…。
「ほら、ここだったよな。天野ん家。」
「えっ、はい。あ、ありがとうございました。」
考えてるうちに家についてしまいました。
まだ一緒にいたい…。そう思ってしまうのは私だけなのでしょうか。
「じゃあ、おやすみ。また明日な。」
「あっ、待ってください。」
どうしてか相沢さんを呼び止めてしまいました。
「ん?なんだ天野?」
「……いえ、なんでもありません。」
「そうか、じゃあおやすみ。」
「…はい、おやすみなさい。」
私はそっと答えて家の門をくぐろうとしました。
すると……。
「美汐っ!」
「えっなんです……!!」
私は最後まで言葉を発することができませんでした。
振り返った私の唇には暖かい感触…。
なにが起こったのか全くわかりません。
それはほんの一瞬のことだったのでしょうが、私にはすごく長く感じました。
そっと離れた感触でやっと相沢さんが私にキスしたんだとわかりました。
「その、な。天野…。」
「はい……。」
「天野は真琴のためって言ってたけど…。」
「はい…。」
「俺のためにも毎日来てくれると嬉しいな。」
「そ、それって……。」
「それだけだ。じゃあなっ。」
そう言って相沢さんは昼間と同じように走っていってしまいました。
しばらく私はぼうっとしていました。
そして…。
「美坂さんの言ったことはあながち嘘ではありませんでしたね。」
ぽそっとつぶやいて笑ってしまいました。
星が輝く綺麗な夜……。
私の家庭教師はまだまだ続きそうです。
おしまい